「法華八講」

「法華八講」

・平安時代中期

・法華経八巻を一日に朝座・夕座と二回講じ、四日間にて全巻を購読する法会 。

・有名な僧侶から説経を専門とする説経僧が登場する。
(名説経師として奈良興福寺の清範、延暦寺の院源、浄土教の源信 などが登場。)

・「講」自体が平安貴族のサロンになっていく。

・天台僧は広く法華経を布教したい→法華経は庶民にわかりにくい→比喩や因縁を含めて経典解釈をした「日本霊異記 」を出版。

浄土教の再渡来

・奈良時代に渡来し空也いらい廃れていた浄土教は円仁が唐から持ち帰った念仏三昧法を広めるため延暦寺常行三昧堂を建立し「引声念仏」を行うようになった。

・三昧堂が 法華経主体の天台僧の中から阿弥陀仏による西方浄土を説く
 「浄土教」の念仏道場として機能していく。

・源信「往生要集」 にて地獄極楽などの浄土思想の分かりやすいテキストを発行→貴族社会に地獄と極楽の観念が生まれる。

・法然が「往生要集」を民衆に広めるため更にわかりやすく「専修念仏 」を広める。

・念仏称名すれば極楽往生が出来る →一気に民衆に広まる。

・民衆が興味をもつように娯楽性の強い説経が用いられる

安居院聖覚
・有名説経師澄憲法印(藤原信憲の子息)の子
・もともとは天台僧でなうての説教師
・法然のいままでにない説経(話芸)にコロッといって浄土宗門徒になる。

・ 天台僧円仁 →天台僧源信 →天台僧法然 →浄土宗各派および派生宗派誕生。

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