日本仏教と学習塾

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今日の雑記
鎌倉仏教の浄土教についての雑記

平安末〜鎌倉時代から加賀国と越前国、法然を祖とする浄土宗が入ってくるのはそれほど早くはないが京都に近く、法然や親鸞ゆかりの地が多い事から念仏信仰が根付いていた事から浄土宗が取り入れられていきます。


最初に目をつけたのが時宗二代目上人真教。

一遍亡き後、時宗集団は自然解散してしまいますが真教が再度復活させます。真教は一遍のように全国を周る事はせず信仰の要衝を抑え遊行します。


そこで目をつけたの加賀国と越前です。

真教は各地に弟子を派遣し「道場」という教育機関をつくり一遍の教えを布教しました。


現代でいう所の学習塾を全国展開したという感じになります。



さらに室町時代後期になると同じ浄土教系でも別の系統である浄土真宗が入ってきます。浄土真宗本願寺派8世宗主の蓮如です。

文明3年(1471)、比叡山延暦寺からえの迫害から越前へ逃れてきた蓮如は吉崎の地に「吉崎御坊」を構える。ここを布教の拠点にするも一門の下間蓮崇が一揆を扇動し退去せざるを得なくなる。

その前後くらいから蓮如は「御文」制度をつくります。手紙の形式で全国の門徒達に発信していきます。

更に門徒が所有する「道場」以外にも「惣道場」という村が所有する道場をつくります。

現代風に言えば通信教育とグループ学習機関を作り上げたと言った感じでしょ。

その後その思想集団は加賀国を飲み込み全国に広がっていきます。

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