江戸と縄文を結ぶ産業①

江戸と縄文を結ぶ産業①

去年の5月、緊急事態宣言下で将来の不安や社会的混乱に心を痛め現実逃避の如く近隣にある神社をGoogleで調べていた。

そこに『胡録神社』という珍しい神社を目にした。

起源を見ると
---上杉謙信の家臣だった高田嘉左衛門一党が、この汐入の地で土着した際に祀った祠が起源である。---

となっている。真相は不明

名称の由来を知りたくインターネットの力を借りて調べたら色々な説が出てきた。
どうやら、江戸時代は『第六天社』だったが明治二年の神仏分離の煽りで名称を変えたらしい。


⒈ 弓矢を収める『胡祿(ころく)』から来てる説

⒉第六天社の「六(ろく)」と胡粉(ごふん)の、「胡」からきてる説がある。


胡粉とは?
日本画や日本人形などに使われる白色顔料である。

18〜19世紀くらいに京都から江戸に移ってきた職人が隅田川、荒川、中川などの川に囲まれた便が良い現在の荒川、足立、隅田、葛飾にアトリエを構えたのだ。

その当時、浅草橋場で胡粉製造していた高田屋七兵衛は原料の枯渇や再開発の余波で拠点を今の南千住汐入に移します。そして農閑期の農民を使って原料の牡蠣殻を採掘していました。

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